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最後の数日間

※この記事は、プリンを病院へ預けてから下書きを始めたもので、亡くなった後に書き足した文章も含まれます。
公開する勇気がなかなか出ませんでしたが、けじめのためにも公開する事に決めました。

12/15
プリン転院。
記事にもしたけど、子宮蓄膿症と診断される。
注射を打ってもらう。
この日から、回し車を回さなくなった。

12/16
昨日より元気がない気がする。
食も細いし、寝てばかり。
触っても起きないし、しばらくすると起きてくるけど、反応は鈍い。
目もあまり開けない。
薬はいやがらずに飲むので、そっとしておく。

12/17
前日より格段に元気になる。
回し車は回さない。
カウンターはずっと0を記録している。
この日、オペをたのもうと決意する。
なかなか眠れずに、夜中まで考え抜いて。
それこそ、迷って迷って、10分置きに気が変わるくらい迷ったし、一杯泣いたけど、結論はやっぱり摘出してもらう方へと固まった。
決意が固まると、不思議と気分もすっきりしてきた。

12/18
さらに前日より元気が出る。
脱皮したてのミルワームをあげると、目を輝かせながら食べた。
殻のついたままの固そうなミルワームは、中身だけをすすって食べている。

12/19
この日もミルワームを嬉しそうに食べた。
ペレットも頬袋に詰め込んで、お腹を出したまま、時々頬袋から出して食べている。
注射を打ってから、初めて回し車を少し回す。(4回だけだったけど)
出せコールも久しぶりに見た。
今ならオペにも耐えられるだろうと、その姿を見て思う。
毛繕いがうまく出来ない上、砂浴びも出来ない状態だったので、被毛は全体的にボロボロボサボサだった。
そこで、体重測定用の小さなプラケースに砂を入れ、そこにプリンを放し、背中に砂をたっぷりかけてあげた。
その後、歯ブラシでブラッシング。
うん、かなりキレイになった。

12/20
仕事の休みを取っていた。プリンを通院させるためだ。
朝、8:45にプリンを手に載せ動画を撮影。
いつもは手の上のものが多いのだけど、床も歩かせてみる。
その姿をしっかり動画におさめ、午前10:30頃、プリンを病院へ。
動画を撮ったのは、これが最後になるかもしれないという思いもあったから。

私の心の中では、オペ決行と決めていた。
最初普通に診察してもらい、エコーで再度診てもらい、あまり状態は変わっていないとの事。
私がオペの話を出すと、やっぱり麻酔のリスクを言われる。
それでも、「覚悟を決めて、仕事も休んで連れてきました。手術をしてください」と頼むと、「飼い主さんが強く望まれているのなら、全力を尽くします」とのお返事。
絶対泣かないと決めていたのに、病院で涙ぐんでしまう。
本当は飼い主はど〜んと構えていなくてはいけないのだけど…
入院手続きをして、前金を払って、「どうかよろしくお願いします」と言って、病院をあとにする。
あとは祈るのみ。
実は今日の診察中に、腫瘍も見つかった。
前からちょっと気になっていたけど、腫瘍かどうか、判らなかった。
イボが出来て、前の病院へ連れて行った時も何も言われなかったし(そのイボの部分が腫瘍)、大きさもまだそれほど大きくなかったため、飼い主も見落としていた。ますます自信喪失…

こうなると、プリンの生きる力を信じて、帰ってきたら快適に暮らせるように、精いっぱい努力するのみだ。
おうちも少しお掃除して。
あまりキレイにしちゃって匂いがないと不安だろうから、キレイな部分の床材(現在はキッチンペーパーを裂いたもの)を残しておくことに。

おうちもキレイにしたし、あとはプリンの帰りを待つだけだ。
でも、待っても待っても電話は来なかった。
麻酔が覚めた頃にお電話しますと言われていたのだけど…
特別外来とオペの時間は、午後1:00〜3:30。
4時になっても電話が来ない。
それまでは、いやな予感も無かったし、プリンはきっと生き延びて帰ってくると信じていた。
でもさすがに、鳴らない電話を見ていると、徐々にいやな気持ちになった。
そして、本格的に覚悟を決めなくてはならない状況なのかもしれないと思えてきた。
午前中に預かっていただいた時も、覚悟はあったが、それ以上の覚悟を決めた。

午後5:40頃電話が鳴る。
心拍数が跳ね上がる。
「残念な結果となってしまいました」と。
「お腹を開けてみると、悪いのは子宮だけでなく、腸や他の臓器にも腫瘍の転移が見られました。最善は尽くしましたが、麻酔から覚める事が出来ず、先ほど息を引き取りました」
とのことだった。
そんなに内臓がやられているとは正直思っていなかったので、とても驚くと共に、またここでも自分の力不足を感じる。
どうして気付いてあげられなかったのかと。
もし気付いていたら、きっとオペを希望しなかったと思う。
そこまで病んでいたのなら、全身状態はかなり悪かったに違いない。
でも、お腹を開けた事によって、色んな事が判ったのだ。
よく、相方に話したのだけど、「オペをすると決めるのも、薬で治療を続けるのも、どっちをとっても私はきっと後悔すると思う。」と。
オペの結果がうまくいって、生きて帰れたら、それに越した事はない。
その後例え1週間で亡くなったとしても、その1週間をスッキリしたお腹で過ごさせてあげたかった。
オペが原因で死んでしまった場合、切らなければもうちょっと生きたはずだと後悔する。
オペに踏み切らず、だんだん衰弱して行くプリンをみれば「どうしてあの時切っておかなかったのか」と後悔する。
「あの時ならまだ間に合ったかも知れないのに…」と。
覚悟を決めたといっても、そんなものは襲ってくる現実には勝てない。

プリンを迎えに病院へ向かう。泣きそうだったが、今は泣く時ではないと思い耐えた。
夕方だったせいもあって、病院は混んでいた。
こんなに人がいる中で、私は遺体の引き取りをしなければならないのかと、呆然とする。
でもそのおかげで、泣く事も無く、冷静にプリンのことを迎えてやれた。
先生の説明も普通に聞いていた。
でも、頭は真っ白で、あまり良く覚えていない。
電話で説明された事は、ハッキリ覚えているけれど。
白いガーゼに包まれて、プリンはキャリーケースに戻された。
「オペを引き受けていただいて、ありがとうございました」とお礼をいい、診察室をでる。
前金で預けておいたお金のおつりと、領収書が手渡される。
「お力になれなくて…」と言われ、「とんでもないです。ありがとうございました」と言う。
車に戻り、「お帰り、良く頑張ったね。生かしてやれなくて、ごめんね」と一言声をかけた。
相方にメールを送る。すぐに電話がかかってきた。
「ダメだったよ。」というと、涙が溢れてきた。

私がオペに踏み切るかどうか悩んだ一番の理由は、やっぱり生きて帰れないかもしれないというところ。
命がけで治療に挑む訳ですが、命がけなのはプリンなのに、プリンの意思ではなく私の意思で、プリンが命をかけなくてはならないというところに、どうしても疑問が。
でも、動物は口をきけないのだから、苦しかったり痛かったりは多少訴える事が出来るけど、「オペはいや」とか「薬で治療して。完治しなくてもいいから。」とか言える訳じゃない。
プリンがもしも、2歳を超えていたら、おそらく私はオペに踏み切らなかったでしょう。
結果を見て初めて気付いた事だけど、ろっこさんが書いてくれた「看取りケア」がきっと正解だったのでしょうね。

残念な結果となってしまいましたが、お腹を開かなかったら判らなかった事もありました。
プリンがこんなにも色んな病気を抱えて、一人で闘っていた事、私は知らないままだったでしょう。
内臓がそんなに悪性腫瘍におかされているなんて、本当に全く気付きもしなかったのですから。
そのことが解り、私は自分の今までを、もっともっと振り返り、反省する事が出来ました。
プリンが命がけで教えてくれた事、決して無駄にする事の無いように、私は誓いました。

麻酔から覚めずに死亡したという事は、最期は苦しむ事もなかったのだと思いますが、自分の力で最期まで闘わせてあげられなかったということでもあるような気がします。
安心出来る自分の家で最期を迎えられなかった事、そして何より、最期を看取ってあげられなかったのが、本当に悔しくてなりません。
眠っているような死に顔を見ていると、本当にゴメンねという言葉しか出てきません。
きっと一生懸命、私に訴えていたのだと思います。
「プリンの悪いところは、しきゅうだけじゃないんでちゅよ。」って。
でもその訴えに、私は気付いてやる事が出来ませんでした。

プリンは頑張りました。
小さな体で、子宮の病気と悪性腫瘍を抱えて、それでも健気にかわいい姿を私に見せてくれていました。
最後は私が腫瘍に気付かなかったために、無理にオペを決行してしまい、私の手で殺したも同然で、何と言って詫びたら良いのか、後悔などという言葉では全然足りないくらいの、虚しさ、自分に対する怒り、申し訳無さで一杯です。

今まで一緒にいてくれて、ありがとう。
本当に至らない飼い主だったけど、ホンのちょっとは私に心を許してくれてたよね?
嫌がらないでお尻を毎日拭かせてくれたもんね。
880円のお金と引き換えに私の家にやって来たプリンさんだけど、お金では買えないかけがえのない時間、喜びを私に与えてくれたね。
私にとってプリンさんの存在は、我が子というよりも、部屋をシェアしているルームメイトでした。
なぜそう思うかというと、健康な時は、一定の距離を常に保っていたからです。
病気になってからは、ベタベタになりましたが…
でも、もしも本当にルームメイトだったなら、私は友達のためにここまで出来ただろうかと、思うところもあります。
距離をとって接してきたけれど、いつしか本当に家族のように思っていたのかも知れません。

良き友達、良きパートナーでいてくれて、本当にありがとう。
言葉も通じないのに、いっぱいいっぱい話しかけたね。
聞いていてくれて、ありがとう。
苦しい思い、痛い思いをさせてしまって、ごめんね。
最期まで腫瘍の事に気付いてあげられなくてごめんね。
恨まれても仕方のない飼い主だったね、私。
どうか安らかに。
もう安心して眠れるね、好きなものも目一杯食べられるね。うちではあまり食べられなかった種子類も食べ放題だね。
クルクルも一杯回せるね。もうクルクルなんて必要ないかな。
きっと草原を、思い切り走っているよね。
もうお腹を引きずったり、後ろ足を引きずらなくて、元気一杯走れるね。
またいつか逢えると良いなぁ。
初めて一緒に生活したハムスターが、プリンで良かったと、心から思います。
命がけでたくさんの事を教えてもらいました。本当にありがとう。
そして、ごめんなさい。
バイバイ、プリンさん。またね。